安いと評判の居酒屋、神楽坂「いっちょう」

新宿区にある早稲田通りの一画、大久保通りとの交差点「神楽坂上」から外堀通りとの交差点「神楽坂下」までが神楽坂である。この坂は、午前中は坂上から坂下への下りの一方通行で、正午から1時間は歩行者天国、そして午後は坂下から坂上への上りの一方通行に換わる。午前と午後とで進行方向が逆転する「逆転式一方通行」で、日本でここだけではないかといわれている。

神楽坂が逆転式一方通行となったのは、神楽坂に妾宅があった故田中角栄元首相への便宜を図ったためだという噂がある。角栄さんならあり得るかも……と思わせるエピソードだが、実際には、午前中は坂を下って都心に向かう車が多く、午後は坂を登る車が圧倒的に多いという、交通量の顕著な違いを考慮して採られた策だ。

神楽坂にはとにかく飲食店が多い。料亭や割烹、寿司、鉄板焼、ちゃんこから、中華、イタリアン、フレンチのレストラン、スナック、バーと、実に多彩な看板が居並ぶ。駅周辺に東京理科大学や法政大学があるためか、安い居酒屋の激戦区でもある。

そもそも居酒屋はいつから存在していたのか? 飯野亮一著『居酒屋の誕生 江戸の呑みだおれ文化』(筑摩書房)によると、居酒屋は江戸時代に大発展を遂げたという。1748年から1751年の間に誕生し、雨後の筍のように増え続けて、1804年から1830年の文化・文政期には、人口比率でほぼ現在と同じ規模の産業に成長していた。1811年に行われた調査では、江戸の町には1,808軒の居酒屋があった。当時の江戸の人口は100万人と推定されているので、553人に1軒の割合で居酒屋が存在していたことになる。

総務省統計局の2006年の調査によると、東京にある「酒場・ビアホール」は23,206軒。この「酒場・ビアホール」には「大衆酒場、焼き鳥屋、おでん屋、もつ焼き屋、ビアホール」が含まれているので、江戸時代の居酒屋に相当するものと考えられる。2006年の東京の人口は1,266万人なので、546人に1軒の割合で酒場・ビアホールが存在しているわけだ。200年前、すでに現在とほぼ同じ割合であったことに驚かされる。

江戸時代、お酒はいくらくらいだったのか? 前述の本によると、1810年、にごり酒1合は4文だったそうである。1文13円と換算すると50円。安い! では、安い居酒屋激戦区、神楽坂ではいったいいくらで呑めるのか? 

神楽坂でよく呑んでいるという友人数人に聞いてみたら、「いっちょう」という店名が上がった。「早速繰り出そう」というわけで、安いと評判の店「いっちょう」へ。神楽坂下にある甘味処「紀の善」の角を入ると、右手にパチンコ「オアシス」がある。その隣のビルの2階だ。グレーのコンクリート打ちっぱなしの壁には品書きが下がり、星やジグザグの形に切りとられたユニークな窓に、満月のようなペンダントライトの灯りが映りこんでいる。壁際は木目を生かしたベンチシートで、全体に木の温もりが感じられる。簾で仕切れる席も2か所あるので、ちょっとした接待や宴会にも使えそうだ。

午後8時、店内はさすがに混み合っていて、居酒屋らしい喧騒と食欲をそそる焼き鳥の香ばしい匂いに包まれていた。ワイシャツ姿の男性グループが目立つが、カップルも多い。みんなほろ酔い加減で、店の中にはほっと和むような空気が漂っている。「とりあえず生ビール」とメニューを見てびっくり。「モルツ・ザ・ドラフト」の中ジョッキが170円! これでも十分安いが、開店時間の16時から18時半まで、ドリンク早割サービスを実施している時期もあるらしい。早い時間から呑めるときは、迷わず駆けつけるべし。ついでにもう一つ驚愕なのが、23時以降、朝まで飲み放題で1500円……。水・木・金曜日は16時から翌朝5時まで営業しているのだ! ネカフェより安い!?かもしれない。

いっちょう日本酒メニュー

さて、生ビールと牛筋煮込みでまずは乾杯。焼き鳥は、静岡県産の銘柄鶏「ふじのくに いきいきどり」を使用している。これは期待できそうだ。好物のせせりとはつをオーダーし、日本酒のメニューをチェック。「これは安い!」とまたビックリ。「浦霞 純米」1合がなんと390円、石川県白山の小堀酒造店が醸す「萬歳楽 剱 山廃純米」も370円。地酒のプライスは700円から900円というのが多くの居酒屋の相場なので、「いっちょう」では約半値ということになる。確かにここは安い!

しかも、人気のある定番の銘柄から店長おすすめの月替わりまで、なかなかの品揃えだ。焼き鳥の焼き加減、塩加減も絶品だ。「安いから、まずくてもしようがないよね」という店では生き残れない。安くてうまい! これが鉄則だ。「いっちょう」のパフォーマンスであれば、仮に江戸時代に店を構えていたら飲食店番付にランクインされていたかもしれない。少なくとも、店先には毎日呑みだおれの客があふれていただろう。庶民の味方「いっちょう」、これからもがんばってほしい店だ。