ニシンの旬

ニシンの旬は10~12月です

漁場の北上

1890年頃から1917年頃まで、ニシンの漁場は富山県沿岸から秋田県沿岸でした。ところが、年々漁場が北上し、1920年頃には青森県沖から北海道沖へかけて、1923年には青森県沖の漁場も不漁となり、本州の漁は消滅しました。
1910年以降、急激に漁獲量が増えたのは、小樽から稚内にかけての北海道沿岸です。

ニシン漁に沸いた留萌

江戸時代、蝦夷では稲作が行われていなかったため、この地を治めていた松前藩は、家臣へ報償(知行)を米で与えることができず、代わりにアイヌの人々との交易の権利、漁業を行う土地(知行地)を与えました。
留萌の知行地は「ルルモッペ場所」と呼ばれ、1844年、カクダイ佐賀家が留萌の礼受にニシン漁場を開きました。これが、留萌のニシン漁のはじまりといわれています。
明治時代に入ると、ニシン漁は松前藩による統制を解かれ、自由に行われるようになります。網元以下数十人から数百人の規模で定置網が行われ、これがニシン漁を大きく発展させ、漁獲量も増大していきました。 
早春、産卵のためにニシンの大群が岸に押し寄せるのを「群来(くき)
といいます。毎年この時季になると、ニシン漁のために多くの出稼ぎ人「ヤン衆」が留萌に集まり、町は活気にあふれていました。明治末期から大正期の最盛期には、100万トン近くの漁獲高があり、ニシン漁で財を成した漁師による「ニシン御殿」が建ち並ぶほどでした。
「ソーラン節
は、ニシン漁の漁師たちが「ソーラン、ソーラン」と掛け声をかけ合い、網に入ったニシンを船に移すときの「沖揚げ音頭」として歌われた労働歌です。
これほど獲れたニシンが、1955年には5万トンにまで激減し、日本でのニシン漁は衰退してしまいました。
その後は、ロシアやカナダからの輸入品が大半を占めています。

ニシンの加工品

当時、漁獲されたニシンは浜に揚げられ、干物の「身欠きニシン」や、卵は干数の子などに加工され、一部は生食用として販売されていました。
大半は、「ニシン粕」と呼ばれる肥料に加工され、北前船交易で北陸地方や西日本各地に移出され、ミカン、菜種、藍、綿花栽培などの商品作物の栽培に重要な役割を果たしました。

ニシンの主な栄養成分

ビタミンB12の補給に

ビタミンB12は、悪性貧血の予防や神経の働きに不可欠な栄養素で、DNAやタンパク質合成の調節や補酵素としてさまざまな代謝に関わっています。

カルシウムたっぷり

カルシウムが豊富で、マグロの約20倍もの量です。また、カルシウムの吸収を助けるビタミンDも含まれています。カルシウムは精神を安定させ、イライラの解消にも役立ちます。

DHA、EPAが豊富

脳や神経組織の発育、機能維持に不可欠な成分であるDHA(ドコサヘキサエン酸)、とコレストロールを下げ、中性脂肪を減らす効果のあるEPA(エイコサペンタエン酸)が豊富に含まれています。

ニシンの下ごしらえ&保存のポイント

身欠きニシンは、新聞紙で包んで冷蔵庫で保存します。長期間の場合は冷凍保存します。

身欠きニシンの戻し方

ソフトタイプのもの
そのまま調理に使用できます。
※かたいものは米のとぎ汁に一晩つけます。

本干しのもの
たっぷりの米のとぎ汁に2~3日浸します。ウロコや汚れを水洗いし、たっぷりの番茶(お湯1Lに番茶大さじ1が目安)で茹でます。水洗いして調理に使用します。